心理  文字数約5000字
著作者:田乃稀大   著作者の作品一覧へ   ホームへ


[あらすじ]
彼と初めて会ったとき、私はマジシャンだった。
彼は、白かった。
私はその白を、ことごとく、汚してしまいたいと思った。

彼と初めて会ったとき、私はマジシャンだった。
魔法が使えた。
そういうことになっていた。
そういう頃だった。
彼はなんだか良く分からない人間で、真っ白なシャツの裾に膝まで覆い隠した格好で、彼の居住空間ではないらしいマンションの一室の、リビングらしき部屋の、テーブルの上に居た。
シャツの裾からほんの少し覗いた爪先は、異様に白かった。
彼そのものも、白かった。
ありと、あらゆる、意味で。
その頃の私は、きっとどちらかと言えば黒い方で、というかむしろ青に近かったのかも知れないけれど、とにかく白くはなかった。
だから、彼の白さには目を見張るものがあった。
世の中には『青白い』とかいう表現もあるが、彼はそんなふざけた色なんかしてなくて、正しく白かった。

私はその白を、ことごとく、汚してしまいたいと思った。

彼と一緒にテーブルの上にいたのは、大量とかそんな数じゃない、ハチミツの壜だった。
否。
ハチミツの壜がテーブルの上にいたのではなく、テーブルがハチミツの壜たちの下にいた。
そもそもがテーブルの上だけではなく、部屋一面が壜、だったからだ。
私も、壜たちの中にあった。
彼だけが唯一、その部屋に居る様な、そんな感じもした。

花が無かった。
失くなっていたのではなく、無くなっていた。
"魔法の"花だった。
私は少し驚いて辺りを必死で探したが、床はハチミツの壜で良く見えない。
私は花探しを諦めて、彼と話すことにした。

彼は、私を見ていた。
ずっと、だ。

「私は面白いかしら?」
『・・・・・・ええ』

彼の声は、とても無機質だったと記憶している。
色が、無かった。
白かった。

「そう」
『・・・・・・ええ』
「例えば、どんなふうに?」
『・・・・・・面白くない』
「そう?」
『変だ』
「あなたには言われたくないわ」
『貴女ばかりが質問していて面白くない。から、わたしからも伺わせていただきますまず貴女のお名前をお聞きしても宜しいでしょうか?』
「名前?」
『名前ですお分かりになりませんか?例えば何でしょうねあ、そうだ例としてわたしの名前は□□です尤もこれは名前ではなく苗字ですがここではこれをわたしの名前とさせていただきます下の名前は』
「聞きたくないわ。知っているので」
『そうですか。』
「私の名前、探して」
『・・・探す、んですか?』
「そう。」
『どうして探すんですか?』
「持ってないからよ」
『どうして持ってないんですか?』
「無くしちゃったから。」
『そうですか。』
「そう」
『では・・・貴女の名前は、何にしましょうか?』
「何にって、何故?」
「無いと後々困るでしょうからこの際です私が付けてさしあげようかと思いまして」
「名前が必要な人なのねあなた――□□さん」
『いえわたしが必要としているのは貴女の名前ではなく貴女のなまえです』
「私には同じにしか聞こえないけれど、それは私が馬鹿だからかしら?」
『貴女、馬鹿なんですか?』
「そうかもね。失礼な」
『しかし馬鹿という名前はあまりよくありませんねやはりわたしが何か他の名前を』
「名前じゃないわよ馬鹿は」
『そうなんですか?』
「そうよ。失礼な。」
『そうですかではやはり名前――貴方の好きなものに因みましょう好きなものを伺っても宜しいですか』
「私の?」
『貴女の』
「あなた」
『はい?』
「あなた。□□さん」
『・・・そうですかそれは少しいえ結構いえかなり嬉しいと言えば嬉しいのですがそれは少し困りましたね因めません』
「そうでしょうね」
『ええ』

彼は本当に、少し落ち込んでいる様に見えた。
彼の目は白かった。
白い目の中に、私が映って、彼の目のその部分だけ黒くなっていた。

『困りましたね』
「名前なんてどうでも良いと思うんだけど・・・まぁ所詮・・・・・・そうね、あなたのお好きに」
『何かおっしゃいました?』
「いいえ何も」

彼は暗い目を上げて訝しげに私を一瞥した後、手を伸ばした。
壜に。
壜が、彼の手に掴まれて、持ち上げられた。
彼の手は常にノンストロークで動き、そのうち壜の蓋がカラカラと音をたてて回ったかと思うと壜を離れて他の壜の蓋の上に落ちた。
彼の手は動きを止めない。
そのまま、まるで壜の存在を無視するかの如く、左手がハチミツの中に挿入った。
広い部屋の窓から斜めに射した午後の陽の光に、ハチミツは光っていた。
ついに手首の上まで埋まった彼の左手が、今度は引き返してきた。その全てに、ハチミツをたっぷりと湛えて。
彼の手の動きに合わせて、ハチミツは光る。
それは子供の頃に夢見た、魔法の水の様で、知らない異国の不思議な布の様で、宝石の様に光った。
左手は宙を漂う様に、彼の口腔内を目指す。彼はもう大きな口を開けてそれを待っていた。

やっと、左手が手首の上まで、彼の口に挿入った。
異様だった。
左手を唇沿いにゆっくりと口から引き出して、彼は満足そうに蚩った。様に、見えた。
一瞬、黄色い熊のぬいぐるみみたいにも見えた。
気味が悪いとは思わなかった。
気持ち悪いと思った。

私は昔から軒並み甘いものが好きではなかった。
僅かに残る幼い頃の記憶で私は、甘いものを食べて食べて食べて食べては吐いていた。
気持ち悪かった。

『・・・・・・ハチミツ』

またも左手を壜に突っ込みながら、彼が言った。

『ハチミツにしましょう』

その姿が本当に黄色い熊のぬいぐるみに見えて、私は笑ってしまった。
ずっと、笑っていた気がする。

「あはは」
『・・・・・・あの、』
「あはは」
『楽しそうにお笑いの処すみませんが、ハチミツにしましょう』

私は甘いものが好きではないので、笑ながら断った。

『いえ、そうではなくてですね。』

彼の左手がまた口腔に挿入った。
私はまた、笑った。

『・・・貴女の名前です』
「私の名前?」
『そうです』
「それがどうかした?無いものは無いわよ」
『ですから、さっきわたしが付けてさしあげましょうかと』
「別にいいわよ」
『いえそれではわたしが困るんです』
「どうして?」
『貴女のなまえが無いので』
「・・・そう」
『これはわたしの提案なのですがハチミツというのはどうでしょう』
「ハチミツ。」
『ええ。それが貴女のなまえです』
「どうして?」

彼の右手の人差し指が、彼の方を向く。

『わたしが付けたからです』
「・・・そう」
『これから貴女のなまえをハチミツとしても宜しいでしょうか?』
「嫌よ」
『え』
「嫌に決まってるじゃない」
『どうしてですか何故ですか如何して』
「私、甘いものが好きじゃないの」
『わたしは好きです』
「だから何?私は嫌いだ、って言ったの」
『貴女は好きだと言いました』
「・・・・・・・・・?」

私は混乱してきている様だった。

『貴女はさっき、好きなものはわたしだ、と』

また、彼の右手の人差し指が、彼の方を向いた。
確かに、言った、気がする。

『貴女の好きなものがわたしならわたしの好きなものが貴女であっても構いませんよね』

一体、どこから出たどういう理論でそうなるのだろう。

「構うわ」
『どうしてです?』
「どうして?」
『え』
「どうしてそうなるの?どこで繋がるの?」
『相互理論です』
「違うわ」
『違いません』
「違うわ。それはあなたが勝手に思ってるだけそうでしょう?」

彼の言は果てしなく気に入らなかった。
どこまでも、嫌なものだった。
昔々の夢に出てきた、月と太陽の様な、対峙するものに似ていて、とても嫌だった。
高々そんな事で熱くなってしまっている、私も嫌だった。
彼の目が、ついに私から離れなくなった。
私も、彼から目が離せなくなった。

「私がどうして、好きなものをあなただと言ったのか、分からないから、そんな事が思えるのよ」
『分かりません教えて下さい』
「考えたら」
『考えました』
「嘘。どうでもいいわ」
『はい』
「それは私があなたに会いに来た事でもある」
『はい』
「私、あなたを視に来たの」
『はい』
「どうしてでしょう」
『どうしてでしょうわたしには分かりません』
「嘘。」
『はい』
「私はどうも好奇心旺盛な人間らしくてね」
『はい』
「私はあなたの行動を観察したくてしたくてしたくてしたくてたまらなかったのよ」
『はい』
「どうしてでしょう?」
『どうしてでしょうかわたしには分かりません』
「嘘」
『はい』
「私、私を好きになりたかったのよ」
『はい』
「私、私が嫌いだから」
『はい』
「甘いものとか、"嫌いなものリスト"から"私"を消したかったの」
『はい』
「だから、私の名前がハチミツだと、とても困ることになるの」
『はい』
「私、思ったの」
『はい』
「私に似ているものを見つけて、それを好きになれば、"私"も好きになれるんじゃないか、って」
『はい』
「あなた、私に似ている」
『はい』
「私、あなたに似ていた」
『はい』
「私は、あなただった」
『はい』
「私が"私"を嫌いになる前の私、」
『はい』
「あなた。」
『はい』
「だから、あなたを好きになれば、私は"私"を好きになれる」
『はい』
「でも、あなたを好きにならなくてもよかった」
『はい』
「私は、あなたを好きになった」
『はい』
「好きだから、観察したいと思ったの」
『はい』
「観察して、思ったのは、やっぱり好きみたい。」
『はい』
「私、少し"私"を好きになったみたいなんだけど」
『はい』
「私はあなたを好きなの」
『はい』
「あなたはハチミツが好きなんでしょう?」
『いいえ』

違った。

「そう」
『わたしが好きなのはハチミツだけではありません甘いものが好きなんです』
「そう。」
『はい』
「じゃあ、あなたはあなたが好き?」
『分かりません』
「どうして?」
『甘くないからです』
「そうなの?」
『はい』
「甘くないと、好きじゃないの?」
『好きじゃないのではなく分かりません』
「分からない?分からない。」
『わたしは甘いものが好きですでも甘くないものは好きなのか嫌いなのか分かりません』
「そういうこと」
『はい』
「でもじゃあ私も甘くないわ」
『じゃあ分かりませんね』
「そう。」
『はい』

やっぱり私は彼だった。

「ありがとう、とても面白いものを診せてもらったわ」
『わたしも面白かったです』
「最初に聞いたわ」
『最初は少し面白くなかったです』
「その後に聞いたわ」
『どうしてでしょう?』
「どうして?」
『考えて下さい』
「考えたわ」
『嘘です』
「嘘よ」
『わたし、貴女を変だと思います』
「聞いたわ」
『どうしてでしょうか』
「どうしてかしら。分からないわ」
『嘘ですか?』
「嘘よ」
『貴女は、他人に興味がある様に見えて、ない様に見えて――わたしは面白くない。
その実、どちらなんでしょうか?』
「どちらでしょう?」
『分かりません』
「私もよ」
『貴女は、自分には興味がおありの様だ』
「ええ」
『貴女のさっきの話――一環して相手を中心とした会話の中に貴女が混じっていて、質問の対象は貴女自信だった』

噂に聞く、天才だった。
機才だと思う。

『そんな所で、最初』
「ええ」
『わたしは"面白い"と言った後に"面白くない"と言った』
「ええ」
『私は貴女を視ていた』
「私もだったのね」
『貴女は、"面白くない"に対する相槌だけだったがそれによって矛盾を受け要れた』
「ええ」

無意識だったと、思う。

『その後の会話で、貴女はことあるごとに理由や理屈や原因を求めた』
「そうだった?」
『はい』

気付かなかった。

『貴女はわたしを"名前が必要な人"だと言った』
「ええ言ったわ」
『そこでわたしは、貴女は"理由が必要な人"だと思う』
「そう。」
『貴女は、面白いものにも、面白くないものにも、興味がないのではないのでしょうか?』
「そうかも知れないわね」
『これは貴女の事です。こちらは興味がないわけがないでしょう』
「あら、そうとも限らないわ」
『そうですか?』
「ええ。あなたが今、私の何を視ているのか――"分からないけれど"」
『・・・・・・・・・・・・』
「"少なくとも、今の私はあなたを視ているわ"」

私も彼も、それ以上何も言わなかった。
私と彼の視線は、宙で固く結ばれているかの様に、動かなかった。
彼の左手が、動きを再開した。
しかし、それは彼の口腔に向かう途中で不意に中断され、その代わりに今度は彼の右手が動いた。
その右手に合わせて、ハチミツの壜も動いた。

ハチミツは壜ごと、彼の口に綺麗に収まったらしかった。
本当に満足そうで、私は彼を、"私"を羨ましいと思った。

そしてまた、視線が合う。
合って、すぐに離れた。
彼の右手は次の壜へと伸ばされ、そしてまた蓋をカラカラと回す。
私は、ずっと彼を見ていた。視ていた。
彼が、私を見なくなった。視なくなっていた。


私が部屋を後にして、彼を見なくなって、それで私は彼を視なくなった。
もう、要らないと、思った。

彼は、白かったと思う。
青白くなくて、白かった。
青さなんて、本当に、無かった。

少し、"私"だった。


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