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[あらすじ]
女子高生、美沙子の初恋のお話です。しかし、その相手にはある過去がありました。 |
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恋待ち
「美沙子ー」
和兄の声で、私は意識を取り戻した。その瞬間、頬杖の支えにしていた右ひじが机からずりおち、思わずがくっとなる。
「いけない……寝てた……」
明日は、苦手の政治経済のテストがある。考えただけで嫌になってしまう。しかも今日、同じくらい苦手な日本史をなんとか潜り抜けたばかりだから、教科書に触れることさえ久しい。今夜は徹夜を覚悟している。
「美沙子! お茶淹れてくれよ」
だと言うのに、和兄はこんな多忙な私に、茶を淹れろとぬかす。
「そんなの、自分でやってよ! あたし今期末試験の勉強中なの!」
「じゃあ、ティーバックの場所教えてくれよ! それだけでいいから!」
駄目だ。美沙子、駄目よ。私は自分に言い聞かせる。だって、それだけで終わることはありえないからだ。
「ティーバック、どこ? あ、そこにあったのか。急須……、あ、ポットって言うのか。どこだっけ? あ、そこかぁ。で、えっと……、カップはどこ? あ、あそこ。はいはい。あれ? この湯沸し器、お湯でないんだけど! 壊れてんの? あ、そこ押すのか。へぇー、ロック解除ね。そっか。子供がいる家とかで、間違えて熱湯出たら危ないもんな。よーし、ありがとなぁ、美沙子。じゃ、お茶の準備は出来たから、戻って良いぞ!」
なんてことになる。和兄は、いつもこのように私を上手く使ってお茶を淹れさせる。本当は、知ってるに違いないのだ。ティーバックとポットとカップがどこにあるかも、湯沸し器のどこを押せばお湯がちゃんと出るかも。
「みぃーさぁーこぉー!」
私が台所に行かないでいると、ついに和兄は私の部屋を力いっぱいノックし始めた。
「なぁ、和哉。俺、お茶いらないからさ。試験勉強中なのに邪魔しちゃ悪いって」
「大丈夫だって。あいつの頭なら、勉強してもどうせ無駄だから」
そう言われて、黙ってるわけにはいかない。私はこっそり、ドアに近づくといまだノックを続ける和兄の顔面に思いっきり当たるようにわざと力いっぱいドアを開けた。
バーン!
「あぐっ……」
気持ちのいい音がして、和兄は鼻を押さえてうずくまる。
「誰が勉強しても無駄だって?」
「おま……開けるときはもっとゆっくりと……」
「あ、美沙子ちゃん、お邪魔してます」
和兄の友人の声はなんだか震えている。私は、その友人にも一瞥を投げた。邪魔するな、という意思をこめて。
次の瞬間、私はその一瞥を後悔することになる。
「蓑田健介です。始めまして」
蓑田健介氏は、喩えるならば五月の風。背がすらりと高く、長いまつげに縁どられた目は凛々しく、鼻筋はすっと通り、口元の白い歯がまぶしく、その完璧に整った顔が微笑むと、それはまるで天使のよう。
早い話が、超イケメン。
一瞬で、私は恋に落ちた。田中美沙子、めでたく初恋。
「は、始めまして。あ、兄がいつも、お、お世話になっておりま……す」
「何をキョドってるんだ。お前は」
その時、私は今の自分の格好がジャージであることに気付いた。おまけに前髪を邪魔にならないように縛ってるからおでこ丸出し。何より、すっぴん。
「ちょっと待ってて!」
私は再び部屋に戻ると、大急ぎで着替えとメイクを済まし、髪を梳かした。もう一度二人の前に現れた時の二人の顔はあぜんとしていた。
「お茶淹れて持っていくから、部屋で待ってて」
「おい」
「健介さんは、お兄ちゃんと同じ学校の人?」
「あ、はい。学部は違うんだけど、吹奏楽団で一緒で」
「おい、美沙子」
「えー、じゃあ健介さんは何の楽器を?」
「トランペットです。和哉はトロンボーンで、席が近かったから」
「そうなんだー、やだ、私トランペット好きなんですー」
「健介、だまされるなよ。こいつ、トランペットが何かよくわかってないから」
「そんなことないもん!」
「じゃあ、クイズだ。お前の好きなジブリの映画で、トランペットの出てくる映画は何か言ってみろ」
「えっ……」
ジブリで、楽器が出てくる映画なんてあっただろうか。あ! あれだ。
「お兄ちゃん、馬鹿にしないで。楽器が出てきたのなんて『耳をすませば』しか」
「あれに出てきたのはバイオリンだ。馬鹿タレ。さ、試験真っ只中の女子高生は勉強でもしてなさい」
私が次に何か言うより早く、和兄は私を部屋の外につまみ出した。
その夜、健介さんのことが頭から離れなかった私が、政経のテストで完全に敗北したのは言うまでもない。
「ねぇ、和兄」
期末が無事……じゃなくてもとりあえず終わって、学校が冬休みに入ったある日、私は勇気をだして兄に健介さんのことを相談してみることにした。同じく冬休みの和兄は、リビングのソファに寝転びながらマンガ雑誌を読んでいる。
「こないだうちに来た、健介さんなんだけど」
「うん? あいつがどうした」
「あの人、彼女いるのかな」
そう言うと、和兄は読んでいた雑誌をバサっと床に置き、座りなおした。
「あいつは、やめとけ」
「彼女いるんだ?」
「そんなんじゃない。でも、あいつは告白されても誰とも付き合ったりしないよ」
「そんなの、やってみないとわかんないよ!」
和兄は、ため息をつくと自分の携帯を私に差し出した。
「そこまで言うなら、やってみろ。だけど、絶対にあいつを責めるなよ」
「いきなり告白しろって言うの?」
「白黒は、早いうちにはっきりさせたほうがいいだろう」
私は、兄貴の携帯を使って健介さんに電話をかけた。
「……もしもし」
電話の向こうの健介さんの声もまた優しくてセクシーで胸がキュンとした。
「あ、健介さんですか? 私、美沙子です。田中和哉の妹の」
「あぁ、こないだはどうも」
「あの……突然なんですけど、好きです」
「……え?」
「だから、こないだあった時に私、一目ぼれしちゃったみたいなんです」
それから、健介さんは長いこと黙った。どう反応するべきか迷っているにしては、ずいぶん長く。なんだか、だんだん心配になってきて、次に自分自身がすごく間抜けで迷惑な人間に思えてきた。そうだ、冷静になってみたらなんで私まだ一回しか会ったことない人にいきなり電話して告白してるんだ?
「あ、あの。すいませんなんか私……」
「ごめんなさい」
二人が口を開いたのはほぼ同時だった。
「兄が……言ってました。あなたは誰とも付き合わないだろうって。それ、どうしてか訊いてもいいですか」
「去年、僕その頃付き合ってた彼女を事故で亡くしてるんです」
ショックで、携帯を落としそうになった。
「なんか、それ以来誰かと付き合うのが怖くなってしまって……。だから、ごめんなさい」
なんて言っていいかわからない私の手から、和兄は優しく携帯を抜き取った。
「健介、悪い。でもこういうの、遅くするとひきずって始末が悪くなるからさ。そういうわけだから。うん、言っとく。じゃあな」
和兄は、そう言うとすぐに通話を切った。
「あいつの彼女が死んだのは、去年の今頃だったよ」
「事故、って……」
「しかも、あいつの目の前で。一緒に道を歩いてたら、後ろからきた飲酒運転の車に、彼女だけはねられた。あいつさ、それ以来ずっと自分を責めてるんだよ。自分が道路側を歩いていればよかったって」
「あたし、ひどいことしちゃった」
「大丈夫。事故の後、あいつに言い寄ってきた女はたくさんいたよ。あのルックスだから、もともと狙ってる女は多くてな。純粋に優しさから慰めてあげようってのもいたし、弱ってるあいつを無理矢理モノにしようと思って多少の強行手段に出ようとする奴もいた」
「多少の強行手段?」
「あー、つまりその、たとえ片方が酔って意識なくても、とりあえず『ヤッた』っていう既成事実を作ってしまえば、後はなんとかなると思ったんじゃないか? あいつは酒弱いし」
「ヤられちゃったの? 女の子に?」
「いや、未遂に終わった。って! この話題は終了! 終了! 花の女子高生が『ヤられた』とか口にするもんじゃないぞ! 俺はいったい、何を女子高生に話してるんだ」
私と和兄は、同時にため息をついた。
「でもな、美沙子」
珍しく、和兄の声が優しい。
「お前、純粋にあいつのこと好きになったんだろ? だったらいいんだよ。事故からずっと、あいつに言い寄ってくる女は事故で弱ってるあいつをどうにかしてやろうと思ってた奴らばっかでさ。その中にはホントに同情してるのもいたから、悪いってわけじゃなかったけど、そういうのってさ、恋愛として正しくないじゃん。同情で付き合ってあげる、みたいなのとか、確実に付き合える相手にだけ告白するのとか、そんなんでいいなら誰も恋愛で悩んだりしないよ」
「和兄は、健介さんの彼女に会ったことある?」
「うん、可愛い感じの女の子だったぞ。そういえば……」
「何?」
「あいつ、言ってた。こないだうちに来た帰りに、お前見てるとその彼女のことちょっと思い出したって」
「どういうこと?」
「知るか。あいつに訊けよ」
そう言って、和兄は携帯に手を伸ばした。
「待った。今日はもう健介さんに電話できる自身ない。ちょっと、時間おいてからにする」
「そうか」
そう言うと、和兄はマンガ雑誌を拾い上げ、また読み始めた。私は、しばらくその場から動けず、ソファにもたれて健介さんのことを考えていた。
そして、一週間後私は再び健介さんと会う約束をした。また和兄の携帯を借りて、その次の日のお昼に駅前の喫茶店で。
私は席に着いてハニートーストを注文するとすぐに、健介さんもやってきた。
「久しぶり」
やっぱり、健介さんはかっこいい。こないだ見た時はジーンズにパーカーのカジュアルな感じだったけど、今日はモノトーンで落ち着いて見える。健介さんはウィンナーコーヒーを注文して、席に着いた。
「で、話って何?」
「あの、こないだは急にあんな話をして、すいませんでした」
「あぁ、別にいいのに」
「えっと……」
テーブルの幅が、やけに広く感じる。気まずい。
「あの、兄に聞いたんですけど、私、前の彼女さんに似てるんですか?」
健介さんは一瞬、考えるような顔をしてから「あぁ」と言った。
「うーん、似てるっていうか……。いや、顔は似てないんだけど、性格かな? あいつも、元気な奴でさ。見てて、楽しかった。何か頼むと、文句を言いながらちゃんとやってくれるところも同じだったな」
「もう、これから誰かと付き合うってことはないんですか?」
「それはわからないけど、今のところその気はないよ。……怖いんだよね。また、大切な人がいなくなっちゃうのは」
「私、いなくなったりしませんよ」
「え?」
「和兄にいつも言われるんです。『お前は殺しても死なない』タイプだって。……だから、私、死んだりしませんから……」
「やめよう」
健介さんの言葉で、私は我に帰った。
「君の気持ちは、うれしい。だけど俺……」
「今すぐ、じゃなくていいです」
私はナプキンを一枚拝借すると、急いでペンで携帯の番号とメルアドを書いて、健介さんのほうに差し出した。
「これ、私の携帯番号とメルアドです。いつか、怖くなくなったら、すぐ連絡ください」
「美沙子ちゃん」
「私、今まで誰かと付き合ったことないんです」
「……」
「最初の一人は、あなたがいい。最初は一目ぼれで、すぐ終わるかもしれないなと思ってました。でも、あなたのことが頭から離れない。昔のこと、知ってからなおさら。私、あなたを楽しませてあげます。楽しい思い出であなたの頭いっぱいにして、昔の彼女のこと忘れちゃうくらい」
そう言うと、私はハニートーストの代金をテーブルに置き、逃げるように席を立った。
「美沙子ちゃん!」
「いいですか、すぐにですよ! 絶対に、約束ですよ! 私……待ってますから」
そう言い残して、喫茶店の外に出た。
たぶん、時間がかかると思う。もしかしたら、ずっとかかってこないかもしれない。でも私は少なくとも、彼に思いを伝えることができた。これからの結果次第では、私は傷つくこともあるだろう。むしろ、そっちのほうが確実に可能性が高いと思う。でも、どうせ恋愛で傷つくなら、その傷つける相手には思いっきりすっぱりやってほしい。じわじわ苦しめられると、傷がつくまでと傷がついてからの痛みを両方味あわなくてはいけないから。そして、最初に私が傷つく原因は、他の誰でもなく、健介さんがいい。だって、私の初恋の相手なんだもの。
携帯を鞄から取出し、ジーンズのポケットに入れなおした。これからは、いつもこうやって携帯を持ち歩こう。着信があったら、すぐに取れるように。
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