ホストと戦争孤児の日々。

"小説"  著作者:さきさかゆきじ      オンライン小説SNSへ


[あらすじ]
ホストが戦争孤児を養っている。
そのホストはちょっと優しくて、馬鹿だ。
戦争孤児の方は、皮肉でニヒルだ。
そんな二人は、いつものように「日常」を過ごすはずだった。
戦争孤児の元へ、一本の電話がかかる。「『どちらさま?』」
ホストと戦争孤児の日々。


「イーシス。電話」
 顔の右半分に眼帯を巻いた少年が、赤錆だらけの受話器を寄越した。
「昨日と違う女から」
 イーシスが受け取る寸前、くすりと猫のような笑みを浮かべて口の端をつり上げた。そして「お邪魔虫は退散するよ、ヤだね、教育に悪いったら、ありゃしないんだから」と舌を覗かせながら部屋を出て行った。不格好に歩く小さな後ろ姿が消えるのを待ってから、イーシスは「もしもし」得意の甘い声を出した。
「珍しいね――どうしたの?」
 昨日と違う女――夜になればもっと多くの女を相手にすると知っているくせに、あの少年は嫌味に笑う。「そんなこと、どうってことないよ」という顔をしながら「あーあ、ホストが養い親なんて、俺の情操教育に悪いんだよ」と辟易してみせる。
 生意気な子どもだった。多くの(主にマイナスな)知恵を植え付けられ、修羅場にも慣れてしまった子どもほど、不憫で扱いにくいものはない、とイーシスは思う。「達観している」なんて、子どもに言うべき科白ではない。「たぶん13歳」と主張する少年は、「達観している」「人生を悟っている」「世の中は理不尽と屁理屈で成立していることを知っている」という、イーシスがもっとも使いたくないと思っている言葉を、1+1は2ですよ、という常識程度に持っていた。
 子どもは、抱えきれないほど大きすぎる夢を見て、大人にからかわれるくらいが丁度いいのに。イーシスが言うと、黒い目をぱっちりと見開いて「イーシスって、純真で人が良いんだね。10年後もそのままでいて欲しいよ」なんて言うのだ。
「……ああ、じゃあ――またね、また、君の声を聞いてもいいかい」
 受話器を置くか置かないかの瞬間に、背後からかなり大きい声が上がった。
「歯の浮くような科白! 俺には真似できないね、お兄さん!」
「シュヴァルツ!」
 咎めるように呼ばれた自分の名に、少年は肩をすくめた。
「聞こうと思って聞いた訳じゃないし。ちゃんと、切ってから喋ったじゃん」
「買い物に行かないか」
「なんだそっち? 女に土産でも買うの?」
「お前は逐一嫌味だな。今日の夕飯だよ」
 ついてくるか、と尋ねられると、シュヴァルツは少し考えて「いや、いい」と言った。まだうまく歩けないしね、と笑って叩いた所は、左の義足だった。
「練習も大切なんだぞ」
「ホストが言う台詞じゃないね」
「教育的な科白は、強盗が言ったって、教育的だ」
「なにそれ、いつもの俺の真似?」
 そうかもな、とイーシスは頭を掻いた。
「ヴァルのようにはいかんよ」
 縮めて呼ぶのはやめてよ、とシュヴァルツは下唇を突き出すが、舌の根も乾かぬうちに「女は口説けるのに?」と投げかけた。嫌みだな。イーシスは赤い舌を出す。
「女に必要なのは学じゃなく、マウスとハートだ」
 わお、とシュヴァルツは肩をすくめて戯けてみせた。なので、イーシスもそれを真似て、
「いま必要なのは女じゃなく、タマネギとビーフだ」
 と言った。正解、とシュヴァルツは満足げに頷く。
 脇に挟んだ松葉杖を握りしめ、覚束ない足取りで玄関へ向かった。
「練習が嫌ならなあ、安静にしておくんだぞ。その義足、一本幾らしたと思う」
「子どもの前でお金の話はしない方が良いよ」
 ちっとも気にしない風に、きゃらきゃらとシュヴァルツは笑った。
「以後、気をつけるよ」
「行ってらっしゃい、気をつけて」
「もちろん」
「ふった女に、後ろからズドンと刺されないようにね、お兄さん!」
 アパートメントの古いドアを中途半端に開けたイーシスは、ふて腐れたように振り向いた。「生憎」イーシスは奥まで舌を見せて、「振られるのはいつも俺の方なんだよ」と宣言した。



 シュヴァルツはリビング――といっても、ここは寝室とキッチンとリビングと脱衣所を含める――でスプリングがいかれて危なそうなソファに横たわり、青年向けの雑誌を斜め読みしていた。
 つまんねえの、と雑誌を放り投げると、電話がジャラララララン、ジャラララララン、と大きな音を立てて鳴った。イーシスが居ないときは居留守を使おうと誓っていたのに、耳障りな音は消えようとしない。二十三回目のジャラララララン、を聞いた後、シュヴァルツは受話器を乱暴に取った。
「はい、こちらオーウェンの代理」
 甲高い女の声が聞こえると思っていた受話器からは、想像していたより何倍も低い男の声が聞こえた。
「久しぶりだなあ、シュシュ」
 シュヴァルツは片方しかない瞼を見開いた。その下の、緑色をした瞳を一切揺るがすことはなく、シュヴァルツは剽軽な子どもの声を出す。
「『どちらさま?』」
「『名前はまだない』。――俺だ、わかってるだろうが。急に古い合い言葉なんて持ち出すな。忘れてるだろうが」
「覚えてたんなら、いいでしょ。第一合い言葉は急に持ち出すものだ。正当防衛、正当防衛」
「果たして今のおまえが正当防衛だろうかな」
「今日は妙につっかかるんだね、ハーヴェルト・クラッカー。そのうちシケるよ」
 回線の向こうで舌打ちが聞こえた。
 わざわざ聞こえるようにしていると言うことは、『向こう』の不満はそれなりのようだ。
「任務はどうした」
「それのことなんだけどさあ」
 子どもらしく間延びして言ったのが癪に障ったのか、再び舌打ちが聞こえた。
「おまえ、いくつだ」
「たぶん十三」
「おまえがあのインチキ博士に薬を打たれなかったら、だよ。今頃二十三、四だろうが。いい大人だろうが、いい加減にしやがれ。自分のケツも拭けないガキじゃあるめえし」
「あ、いま俺、腕が不自由だから拭けないんだよね」
 冗談を言うと、ハーヴェルトは不満げに舌打ちをした。だから回線に乗せるなって。シュヴァルツは「耳障り」と一言漏らす。
「任務はどうした。『納入』から3日経ってるぞ。地雷の件はブラウンから聞いてる。それならそうと、代理を寄越せと一言言えば――」
「それのことなんだけどさあ」
「俺の話を聞け!」
 怒鳴るハーヴェルトの声は、一切無視した。
「イーシスのこと、俺、気に入ったんだよね。この機会に抜けさせてもらうわ」
 沈黙が続き、ざわつくノイズが回線が切れたわけではないことを示していた。
 数秒経って、耳をつんざく罵声が轟いた。
「ふざけるな」
「残念なことに、今まで散々ふざけてきたが、これだけはおふざけじゃないんだよねえ」
「ああ、そうか――裏切るのか、おまえは」
「俺の言った意味を理解してくれているならね。簡単に言えば、そういうことだ」
 物わかりがよくなったじゃないか、とシュヴァルツはクスクスと微笑んだ。
 負傷したシュヴァルツが強気で出るのには根拠があった。
「他の仕事は引き受けたって構わない。でもイーシスは駄目だ。この条件をのんでくれるなら、今までの半分の報酬で引き受けよう。ドタキャンなしでな」
「おまえ、地雷で足が吹っ飛んだんだってな」
「それくらいで俺の価値が下がるとでも思っていたのか? 俺は貴重な実験材料なんだろ。切り取った手足が生えてくる。ヒトの四十九倍の早さで血が作られ、運動神経は確か――何倍だっけ、忘れたな」
「化け物め」
「イエス。金取りから編入したあんたなんかより、ずうっと役立つぜ」
「しかし、すべての回復にはそれなりの時間が掛かるのも事実だ」
「それもイエス。それが?」
 嫌な予感がした。
 血が頭に上りやすく、すぐに声を荒げるハーヴェルトが、まるで冷静だったのが気に掛かる。まるでシュヴァルツの返事を予測していたようだ。――いや、この阿呆な親爺が、何か考えているわけがない。
「新しい刺客はすでに送り込まれてる。インチキ博士は、早くおまえに会いたいそうだ。おまえの両足の細胞分裂を観察したくて堪らないって顔をしてたぜ。おまえの眼球潰れた眼球を、今かと待ち望んでいるだろうな。それから――」
 皆まで聞く義理が、どこまであっただろうか。
 シュヴァルツは松葉杖を小脇に抱え、アパートメントの窓から身を投げた。地上十二メートルからの衝撃は、それなりに義足と生身のつなぎ目に痛みを与えたが、耐えられぬほどではなかった。



「ジャガイモを三つ――いや、四つで。あとニンジンはこれと、これ。ねえ、タマネギ余ってる? 安いなら買うよ、高いなら要らないけど」
 イーシスは、大通りの露店で声を張り上げていた。
 このあたりはいつも混み合っていて、肩をぶつけずに歩ける日はないくらいだ。そのおかげで、貧民によるスリが耐えずにいる。イーシスは買い物かごをしっかりと抱き、財布の所在をもう一度確認した。
 ヴァルが見たら、「一回くらい、スラムの小僧にスられたくらいで」と笑うだろう。しかし、あのときはびっくりしたのだ。初めてスリにあったとき。あんなに鮮やかに盗むと思っていなかったのだ。
ヴァルが松葉杖でスリ少年のアキレス腱を突き、転ばせる瞬間まで気づかなかった。というよりも、あの時点では状況さえ飲み込めていなかった。
 思い出すと、つい笑い出してしまう。
 お願い、ポリスはやめて。警察怖い。ヴァルに松葉杖を突きつけられた少年は、怯えて言った。すると、ヴァルはあろう事かイーシスの財布から数枚のコインを抜き取って、その少年に放り投げた。
「相手が悪かったんだ。もっと上手くやれよ」
「それ、俺の」
 不思議な爽快感を感じつつ、ぼそりと呟くと、振り向いたヴァルは「どうせ金持ちの女相手に荒稼ぎしてるんだろうが。人助けだ、人助け。あれを可愛い俺と思ってさ」などと言っていた。
「残念なことにヴァルは可愛くない」
 苦笑しながら言うと、ヴァルは不服そうにしていた。
 ちょうど、頭の中のヴァルがべえっと下を突き出したとき、どこかで乾いた音がした――ような気がした。人混みというのは、その煩雑さにすべての感覚を持ち去られそうだ。
 いや、銃声だ。
 パァン、とはっきりとした銃声を二発、カン、と石畳に跳ね返る音が一つ、耳に入ってきた。イーシスは買い物かごの口をしっかり閉じつつ、耳を澄ませた。周囲の人々はすでに顔をゆがませて周囲を見渡しているが、人の多さでまともに動けない。こんなところで乱射でもされたらひとたまりもない。
 人混みは枝分かれした小路へと流れていく。自然とできた波に抗うことなく、イーシスも身を任せた。下手に動いて蜂の巣になりたくなかったし、ヒトの大群に踏みつぶされるのも嫌だった。
 けれど、思わず駆け出したのは、その目に、最近養い始めた戦争孤児が映ったからだった。
 シュヴァルツの倒れている石畳の上だけ、きれいなサークルができあがっている。シュヴァルツのそばは、うずくまった男が在るのみで、松葉杖は投げ捨てられていた。
「ヴァル!」
「イーシス!」
 シュヴァルツが勢いよく起き上がったので、野次馬の輪が一回り大きくなった。
「どうしたんだい、こんなところで――血ッ!」
 イーシスは半分悲鳴を上げた。
 シュヴァルツが膝をつく地面に、赤い鮮血が広がっていたからだ。
「どこだ? どこを撃たれた?」
「あ、俺は、このおっちゃんに躓いてこけただけ」
 このおっちゃん、とシュヴァルツが示すその人は、死んでいるようだった。
 野次馬の一人が声を掛けながら体をひっくり返すと、開いたままの瞳孔が虚空を見つめていた。誰かの息をのむ声が聞こえた。心臓が在るであろうあたりの場所に風穴が開いており、勢いはなくなったものの、血は絶えずシミを広げている。ふと足元を見れば、右足のズボンにも赤黒い円がある。



 あまりの鮮やかさにハーヴェルトは声を失っていた。新しいアサシンはブラウンと言って、その道の手練れだった。ターゲットのイーシス・オーウェンに銃口が向けたその一瞬に、『コト』は起こった。シュシュ・ケイト――いまはシュヴァルツだったか――が素早く間合いを詰め、ブラウンの腕をひねり、銃のトリガを引いた。銃弾はブラウンの右足を貫通し、石畳に跳ね返った。思わず緩んだ手中から銃を奪い取ると、ブラウンの服を掴んだまま、近距離で心臓を射抜いた。これを、ものの一秒の間にやり終えた。見事としか言いようがなく、仲間が撃ち殺される間ハーヴェルトはシュヴァルツの肢体に魅入っていた。
「ヴァル、本当にけがはないのか?」
「うん。でも、転んだときに義足を曲げちゃって」
 なんだって! イーシス・オーウェンは声を上げた。おまえ、あれは、いったい幾らしたと思ってるんだ、と怒鳴っている。しかし、直ぐに「しかたがないなあ」とぼやき、華奢な背中をシュヴァルツに差し出した。
「あ、だっこが良い」
「おまえは、本当、狡賢い子どものなんたるかを知ってるよな」
 呆れた調子でシュヴァルツを抱き上げた。放り投げた買い物かごでも探しているのか、うろうろと移動を繰り返している。
 シュシュがいるなら、俺もやばい。
 ハーヴェルトは顔を背けぬまま、一歩、一歩と後退した。イーシス・オーウェンが背を向けると、その頭の横に、小さな美しい隻眼の顔が在った。その碧眼は冷たく、深い、森の色をしていて、それは間違いなくハーヴェルトを捕らえていた。
 逃げ出せ、とハーヴェルトは両足を叱咤する。しかし動かなかった。人混みは絶えずハーヴェルトの隣を過ぎてゆくのに、時間は止まってしまったようだ。
 シュヴァルツの手には小型銃が握られている。――ブラウンの物だ。子どもの手にもすっぽりと収まり、銃口の先に突き出た筒状の物はサイレンサー。その物騒な管さえ、シュヴァルツの長い袖に隠されている。周囲の人混みはちっとも気づきやしない。――ああ。
 ハーヴェルトの心臓は、ほどなくして破裂した。



「なにか、変な音、しなかった?」
「何も? あ、でも変な匂いするね。爆竹の煙みたいな」
「本当だ。嫌な日だなあ」
「かごが見つかっただけ、よかったじゃない。イーシスって、結構不幸だしね」
 それを言うな、とイーシスが不服そうに訴える。
「それで、ヴァルはなにをしにきたんだ?」
「シュヴァルツ。ねえ、フルネームで呼ばないと、そのうち俺の名前忘れちゃうんじゃない?」
「セント・シュヴァルツ・サンライズ。こんな素敵な名前、滅多に忘れないよ」
 それならいいけど、とシュヴァルツがイーシスの肩を抱いた。
 買い物かごの中身をチェックしていると、イーシスが再び「ヴァルはなにをしにきたんだ?」と尋ねた。
 暗殺者があんたを狙ってたんだよ、と言えるはずもない。しかも、「振られたことはあれど振ったことはない」と豪語するイーシスに、金持ちの女が逆恨みして依頼したのだと言うのはなんとなく気が引けた。
「今日の晩ご飯、ビーフシチューがいいなあって」
 そう無理矢理に取り繕うと、「奇遇だなあ」と嬉しそうな声がした。
「俺もそう思ってたんだ」


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