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[あらすじ]
まだ妖しと人がともに生きていた時代。桜姫というとても美しい姫様がいた。
桜姫様は体は弱くとも優しい心を持っており、民からも、妖しからも大層すかれていた。
ある春の日、桜姫は丘の一本桜のもとへむかった。
そこへ現れる狐の妖し。その狐は桜姫に恋焦がれるも、その顔を知らずにいた。
目の前にいるのが桜姫だとも気づかずに、狐はその恋心を語る・・・。
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ハルイチバン
あるところに、一人の姫様がいた。
とても美しい姫様で肌は白磁のようにきめ細かく、髪は漆のようにつややかで、その瞳は大きく美しく輝いている。
硝子細工のように繊細な顔立ちはまだ穢れを知らず無垢な様子で、いかにこの姫様が周りから大事にされているかを物語っているようだった。
微笑むその姿はまるで儚い花のようであり、故にその名を、桜姫と呼ばれていた。
姫様は毎朝、起きるとすこしだけ外に出て鳥の声を聞いた。
それは会話をしているようでもあり、歌を唄っているようでもあり、毎朝のその時間が、姫様は大好きだった。
姫様は体の弱い人だった。
なるほど、その雪のように白い肌は、白粉に多少隠されてはいるものの、わずかに青白い色が見え隠れしている。
姫様は香をたいた部屋から日中ほとんど出てゆくことができず、彼女が部屋から出ることができるのは、空気の冴えた早朝と、あたりの音のおさまった夜中だけだった。
それでも彼女はその短い時間を心から楽しんでいるようで、キンととがった冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで吐き出すと、ほんの少しそのほほを薄紅色に染めて、にっこりと笑った。
姫様の噂は、町の人々から山の妖しにいたるまで響いていた。
町の人々は姿を見たこともないその姫様の姿を妖し共は皆、姫様とその供のものだけには悪さをすることはなかった。
体は弱くとも美しく、自然を愛する心を持った姫様は、皆の「理想」というものだったのだろう。
天気がよく、空気がすんだよい日和には、時折姫様は供のものをつれて野山へ出向くこともあった。
この日も、とてもよい天気だったので、姫は数人のお供を連れて野へむかった。
この春の陽気に誘われて、木々も新しい若い色が顔を出し始めているころだ。
姫様はこのころになると、必ず丘の上の一本桜のもとへ足を向けた。
丘の上の一本桜。
それは見事なもので、おそらくは姫様の御爺様のそのまたお爺様のころからここに根をはり同じように花をつけていたのだろうとおもう。
とにかくその枝振りといえば見事なもので、そこに咲く大輪の花は美しく、花びらの散る様はその遠い昔から絶えることのなかった命の雄大さを物語る。
「この桜を見れば姫様をみたも同然」と町で噂されるのもうなずけるというものだ。
―――もっとも、姫のようであるのはその淡い色の桜の花のみのことではあるけれど。
姫様は桜の下へたどり着くと、ござを敷き、そこに静かに腰を下ろすと、大きくて太い美喜に軽く寄りかかった。
「姫様がござ?」とおもうかもしれないけれど、こればかりは彼女の少ないこだわりの一つだった。
「自然の中では自然そのものに触れるのが礼儀というものでしょう。」
それが、姫様の言い分。本当は草の上に座りたいのだけど、とため息をつく姫の様子を見ていると、これでも彼女は譲歩しているらしい。
姫様は体が弱い。
その心根は優しく、供のものにも暖かい気遣いを忘れない。
ただ・・・一度言い出すと、ほかに何も見えなくなる、悪い癖があった。
ほぅら、今もそこで、供の者達を困らせている真っ最中のようだ。
「しかし姫様!」
中でも一番年上の長が困った顔をしても、姫様はかわいらしく上目遣いでじっとその相手を見ていた。
「お願い。今日はとても体の調子も良いのよ。ね、お願い。静かに桜を眺めて遺体の。絶対にここから別のところにいったりしませんから!お願い。」
その言葉で、今姫様がどんな無理難題を出しているのかが判るだろう。
つまり姫様は、「一人」で、「静か」に桜を眺めたい。
言い換えれば、周りの供たちに、自分をおいて帰れ、といっているわけだ。
もちろんそんなことはできるわけもない。
供の者たちも弱り果てた表情で何とか姫様を考え直させようとしているようだけれど・・・。
自分のお願いに周りのものが難色を示しているのがわかると、彼女はそばにいた、一人の少女を見上げた。
見上げられた少女は困ったように周りの人々を見渡す。
「ね、薺。あなたからも、お願い。」
「お願いと申されましても・・・」
ど、どうすれば?
それが聞きたくて周りの人間を見たのに、どうやらここにいる人たちは皆自分に判断をゆだねてしまったようで、誰も助け舟を出してはくれなかった。
薺は、特例として姫の身の回りの生活をしている、同い年の少女。
遊里に売られそうになっていたところを、たまたま外へ出ていた姫様に拾われたのだ。
以来、薺は主に姫の話し相手として白においてもらっている。
「世話役」としては姫にきちんとそれらしく接する彼女だが、「話し相手」となると、そういうこともあって薺は姫様に頭が上がらない。
それを知っていてなおも自分に採決を任せるということは・・・。
彼女はため息をついて姫をちらりとみ、そして苦笑いをしながらいった。
「・・・昼にお迎えに参ります。絶対に動いてはいけませんよ。」
「わぁっ!うれしい!きっと薺ならそういってくれるとおもっていたの!」
姫様の表情がぱぁっと明るくなった。
その後またいろいろと話をして、結局、すこしの警備のものを離れたところにつけておくことだけは姫様も承諾した。
御傍付の薺たちは、とぼとぼと里へおりてゆく。
「すまんな、薺。わしらがあそこで許可を出してしまうと、後々・・・のう?」
一番年上の・・・「翁」と呼ばれている彼は、しわだらけの顔をくしゃとさらにしわを寄せ、笑う。
わしらも、できることなら姫様の望みはなんでもかなえてやりたいんだよ。
彼のその言葉に、周りの者たちも皆うなづいた。
姫様は、本当に皆から大切にされて育ったのだ。
春は妖しも陽気になる。
そうして、仲のよいもの同士で集まって、酒を飲み交わす。
野の中心に大きな大きな、それはそれは大きな桜の木がある。
あまりに立派なものだから、周りの気はすこし遠慮して遠くにひっそりと枝を広げている。
だからまるで、そこは広場のようで、ほとんどの妖したちはそこで春の訪れを祝うのだ。
もっとも、今はまだ昼間だからほとんどの妖しは出てこないのだけれど。
そこへ、一匹の、妖しがやってきた。人の姿をとってはいるが、白い髪にふさふさの尻尾が日本ゆれているのを見ると、おそらくは狐の妖しだろう。
手には人里で買ってきたのであろう酒を持って、軽やかな足取りで丘を登る。「誰かと約束をしているわけではないが、なぁに。酒があるといえば桜の翁が顔を出すから寂しくなんてないさ。」そんな風に鼻歌を歌ってはいるものの、すこしばかり寂しがっているのは、尻尾の揺れ方で判った。
丘を登りきったところで、視界がぱっと開ける。さくらいろが目の前いっぱいに広がって、あったかい風が体を包む。狐は一年ぶりの光景にしばし見惚れたあと、満足そうに笑って大声を上げた。
「おぅ爺様!今年もきてやったぞ!上等の酒を買ってきた。一緒に呑もうぞ!」
「――誰?」
「ん?」
狐の呼びかけに答えたのは、彼が予想していたしわがれた低い声ではなくて、鈴を転がすようなかわいらしい声。驚いて狐は桜の木に駆け寄ると、幹にかくれて見えなかった向こう側を覗き込んだ。
「・・・女子ではないか。」
狐の瞳に映ったのは、それは美しい少女の姿だった。しばらくの間彼は彼女に見惚れていたが、彼女の大きな瞳に映る自分の阿呆面に気づき、はっとわれに返ると口を尖らせる。
「なっなんじゃ!おんし、ここでなにしよる!」
「えっ?」
「今日は桜の爺様と呑む約束をしろつんじゃ!爺様は人嫌いだから誰かがいると出てこん。ほれ、うちに帰り。」
「あっあの・・・でも・・・」
「なんじゃ!」
狐にまくし立てられてすこしびくっとしながら姫様は小さい声でおどおどと狐に言った。
「動くなと・・・いわれていて。昼に迎えがくるまでは、と。」
「なんじゃそれは・・・」
呆れたような狐は、どっかりと姫の座っているござの上に腰掛け、ため息をついて避けの容器をどん!と乱暴におくと、不機嫌そうに頬杖をついた。
「つまらんのぉ!せっかく一等よい酒を買うてきたのに、このような小娘と一緒では詰まらん!」
すると、むすくれる狐に、今度は姫様が者を尋ねた。ただし、狐と違い、穏やかな優しい声で。
「お話し相手にもなれませんか?私ももう十七になるものでございますけれども。」
「はんっ!十七なぞまだまだ小娘じゃ!わしはもうその十倍は生きておるし、桜の爺様なぞさらにその倍は生きておる。それからすればたかが十七年など、瞬きの間よ。」
狐は酒の入った容器の栓を抜くと、そのまま口をつけて酒を流し込んだ。っかーーー!と息をだすと、一気に酒が回ってゆくような気がして、体が熱くなる。その後も一口ずつ酒を含んでは飲み込み、を続ける。どうやら彼は、姫様をむしして酒を飲むことに決め込んだようだ。彼は何もいわず、姫と目をあわそうともしない。
しかし。姫様はこのいきなりの無礼者に興味を持ったのか。彼が自分から話しかけてはこないことを悟ると、ならばと自分から口を開いた。
「あなたは、御狐様?」
「――あ?」
「これ、本物の尻尾ですか?」
姫様はそういって、まるで羽を寄せ集めたようなふさふさの尻尾をきゅっとつかむ。これには無視を決め込んでいたはずの狐も彼女のほうへ向き直らずにはいられなかった。そうして姫様の手から尻尾を取り返すと、呆れたような目で姫様の綺麗な顔を見詰める。
「綺麗な娘かと思えば、とんだじゃじゃ馬じゃの。」
ため息をついた狐に、姫様は無邪気な微笑を浮かべる。まだそのふさふさでしろい尻尾が気になって仕方ないといった様子でうずうずしている白い手を尻尾でペチッと軽く叩くと、ほんの少しびっくりしながら、その瞳をさらに輝かせた。
そんな様子を見て、これはすでに無視は不可能だと悟った狐は、片方の眉を上げて「やれやれ」という表情を作ると、しぶしぶきちんと向き直る。すると、姫様はぱっとあかるくするものだから、今度は「してやられた!」というように顔を渋くする。姫様が笑いながら赤い椀に注いだ酒を狐が受け取ると、同時に花びらの一つが酒の上に落ちて、その中にゆれた。
「これは風流な。」
狐はすこし機嫌をなおし、くっとその酒を口に入れる。花びらに残る柔らかな桜の香りがふんわりと、いつもとはまた違う春を伝えてくれたようなきがした。
その香りをたんまり楽しんでから飲み込んで、後味までしっかり楽しむと、彼はようやく姫様に向かって口を開く。しかし、始まったのは楽しいおしゃべりではなく、程よく酔った狐の説教のようだった。
「第一おぬし、どこの姫様かは知らぬが、姫たるものとしての自覚がまったくもって足りん!」
「・・・そうでしょうか。」
「そうだ。おぬし・・・そう。この近くに住むという姫を尋ね、見習ってみるといい。」
姫様の尺で酒を飲みつつ、姫のことを話しに出すと、狐のほほがすこし赤らんだ。遠くを見詰めるような瞳で目を細めて、顔をほころばせる。
「その顔こそ拝んだこともないがな、それは美しくて、物静かな麗しい姫君だそうじゃ。その姫様にだけは桜の爺様心を許しておるとみえる。」
のう?と狐が幹に手を添えると、しわがれた声で「放っておけ!」と声が聞こえてきた。
「お前こそ、姫様がいらっしゃるたびにそのあとやってきてはどう邪道じゃとたずねるものを。」
「なっ・・・爺様!」
「一度見まえてみたいものとしきりにいうとるではないか。」
「まぁ素敵!まるで御伽噺のようね。」
「ええい、からかうな!」
真っ赤になってしまった彼をみて、姫様はたまらず笑い出してしまう。えらそうなことを行ったあとだったから余計に恥ずかしかったのか、狐はすっかり尾をたれてしまっている。くすくすと鈴を転がすように笑う姫の隣にひざを抱えて座り込むと、狐はそのまま、まるで子供のするように真っ白な狩衣の袖に顔をうずめて黙り込んでしまった。
あら、とそれに気づいた姫様は、笑うのをやめてその肩に触れた。
「ごめんなさい。笑ったりして。」
ふわっとやわらかく微笑むと、彼女は優しく狐の顔を覗き込む。
「御狐様が噂を聞いただけで認められたほどの方ですもの。それは素敵な姫様なのでしょうね。」
「――・・・まぁな。」
「私も見習おうとおもいます。ですから、その姫様のことを、聞かせてくださいな。」
「・・・まぁ――・・・よいぞ。」
やっと顔を上げた狐は、照れたような、すねたような表情で尻尾をばたつかせた。
鳥が、高らかに歌う。小動物も皆寄り添って、狐の話を聞いていた。自慢げに姫のことを語る狐は本当に楽しそうで、まるで自分か、自分の娘の自慢話をしているようであったが、桜や、周りで聞いていた小鳥が、姫の耳元でささやいた。
――狐はね、姫様に恋をしてるんだよ――
クスクスと笑う彼らは、穏やかな視線を彼に送る。
一度忍び込んだ屋敷の中。朝の光の中で、庭の梅をいとしそうに見詰めていた姫様を見つけた。御簾に隠れて顔を見ることはできなかったけれどその穏やかな微笑と優しい声に一発で惹かれた。まるで子供のような恋心。それは決して笑い飛ばすことなどできない尊いもので、誰もがあつくもえる経験をするもの。――もっとも、大還暦もとうに終わらせたものが、といってしまうと、ややときめきも薄れるが、それでも、その心に年齢などは関係ない。
しかし話の終わりに、彼は酒を一口の見込むと、被害息を吐き出して、ふっと表情に影を落とした。
「だが――・・・わしは妖しじゃからのう・・・。」
「――・・・」
そういって、また一口、酒を流し込む狐の横顔を、姫様はじっと見詰めた
恋に胸を躍らせときめきながらも、決してかなわぬ恋心。捨て去ろうかと思いはしても、手放しがたい恋心。本当の「恋」を知らない姫様には本当の意味で理解するのは難しいかもしれないけれど、感覚的にそれを理解することくらいはできる。
その辛さを感じ取った姫様は、ほろほろ、ほろほろと真珠のような涙を瞳からこぼした。
「んぁっ?!な、なんだ!なんだお前!泣く話でもないろうに!」
「も、申し訳ありません、けれど――・・・」
袖で涙をぬぐうと、姫様は、「悲しいですね」とぽつりこぼした。その言葉は狐にも届き、すっと胸の中にしみてゆく。
――そうだね、と、狐は心でつぶやく。悲しいのかも、知れないね。
姫様が、涙をぬぐう。狐が、酒を飲む。それはまるで、言葉に出さない会話のようだった。――悲しいね。――うん、そうだね。――寂しいね。――うん、すこしだけ。
春風に揺られて桜の花びらがはらはらと舞ってゆく。地面にまきちる桜色が、広がり、あたりを染めてゆく。時の流れが止まったようなゆったりとした流れの中で狐と姫様が静かにたたずむ光景は、まるで一枚の絵のようであった。
いったいどれだけの時間がたったのか。姫様のお供が姫様を迎えに来たとき、姫様は狐と二人、何も言葉を交わさずに、静かに桜を見詰めていた。
「・・・」
迎えの列からはずれ、姫を呼びに薺がやってくる。しかし、途中で立ち止まって、それ以上進むこともできず、ただ、立ち尽くした。供の者たちは誰も言葉を発せなかった。薺も、何も言葉を発せなかった。あまりに優美で、しかしどこか寂しげなその様子に、なにもいえなかったのだ。
「・・・あら、薺。」
「あっ――・・・姫、様。」
「早いわね。もう時間。」
姫様が薺に気づかなければ、おそらく永遠にそのときが続いただろう。そんなことまで考えてしまうほど、その光景には何か感じるものがあった。薺は遠慮がちに近づくと、小さく顔を下げる。
「お供の迎えか。薄汚れた格好だな。女子であろう?」
「ええ。私のを着てくれてもいいのに、いつも断られてしまうの。」
「まったく、そのとおりだな。こぎれいにするのはいいがこのような格好をさせられても、おもうように動けんでいらいらするだけじゃろう。のう?」
くすくす笑いながら狐がじゃべりかけると薺は目を白黒させながら慌てふためく。そんな彼女を見て狐は面白そうに笑った。それでもどこか寂しそうにしょげる尻尾が、彼が名残を惜しんでいるらしいことを教えてくれる。姫様が立ち上がると狐も立ち上がり、そうして姫様のほとんど飾り気のない髪に、人のそれと寸文の狂いもなく変化させた手をぽんとおいた。
「なかなか楽しかったぞ。酒が飲めるようになれば、今度はともに呑もう。」
「ええ、きっと。――そうです、御狐様、お名前は?」
「わしには名前などないよ。――だが、そうか。お前には名があるのだな。」
「ええ。――そう。ちょうどこの木と同じ名を頂いております。」
「―――・・・え・・・?」
姫様の言葉に狐が振り返ると、そこには姫様の名と同じ、大きな、大きな・・・桜の木。
ああ、と。狐はため息をついて瞳を閉じた。それから振り返るとちいさく、「そうか」とこぼして姫に告げる。
「わしからも、会いに行くよ。」
あいに、行っていたよ。
微笑む姫の後姿に小さく、そうして次第に大きく大きく手を振った。かごにのり、姫様をのせたそれが見えなくなるまで、ずっと・・・
狐は、手を振り続けた。
「先に言うてくれればよかったのだ。なぜあれが桜姫じゃと教えてくれんかった。」
すねたように狐は、隣に座る大きな老人の椀に酒をついだ。すると、老人は豪快にわらい、その酒を飲み込む。
「気づかぬほうが間抜けというもの。恋い慕うものの顔など、知らぬとも言い当てるべきよ。」
「ふん!人の気も知らんでわろうておったな!?」
「実に愉快だな、他人の色恋話というものは。いい酒の肴になる。」
「放っておけ!」
白い狐が見る見る顔を染めてゆくのが面白いのか、老人は「結構、結構」などといいながらニヤニヤして酒を飲んでいたが、やがて狐のカタを叩くと、力強く狐を抱きしめた。
「――よかったのう。」
「・・・なにがじゃ。」
「姫様が、心優しい方でよかったのう。姫様を好きになって、よかったのう。」
すこし苦しいくらい狐を抱きしめ、そうしながら老人はしわがれた声でつぶやいて、泣き出した。それを背中に感じながら、狐は尻尾をぱさり、と一度ふる。「そうだね」という意味を、彼一流の方法で返したのだ。
自分のために、その瞳から真珠のような涙をはらはらとこぼす姿は愛らしく、とても、神聖だった。
「爺様・・・」
「なんじゃ。」
「その――枝を。・・・枝の一振りを、どこか譲ってくれんか。できれば花のつきのよいものを。」
「――枝を?」
老人は狐の言葉に反応して、天井に広がる桜を見上げた。咲き誇る花はどれもかわいらしく、まさにあの姫のよう。
「・・・あいに行くと・・・その・・・言うてしまったし・・・。――みっ!土産だ!土産!なにも無しでは、格好がつかんであろう!」
ついに耳まで真っ赤になりながら、狐は大声で言い訳をするように老人の腕の中で大暴れした。老人かぱっと手を離すと、勢いあまって顔から地面に突っ込んで。鼻を押さえながら、さらにああでもない、こうでもないととってつけた理由を言うのを老人は黙って聞いていた。すこし笑って、まるで子供の話を聞くかのように。
それから。
狐は前より頻繁に里へ降りるようになったとか。梅、蒲公英、山桜。いつも取って置きの野の花を携えて。
姫はそのたび喜んで、狐を招き入れていろいろな話をしたそうな。時には桜の爺様もその大きな体を揺らしてやってきて、三人で楽しげに話す姿が見えたりもした。
花を愛する姫様と、そんな姫様を愛し、花を運ぶ狐。人はいつしかその狐を洪呼ぶようになったそうだ。
いずこいずこの御狐様や、桜の姫に恋をした。花を両手に逢瀬に向かい、真白き尾っぽの、花狐――・・・。
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